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「The lights aren’t gone, they’re just out there」についてdiary

このたび、作品と音楽が入った箱をリリースしました。
いくつかの幸運や今までの連なりが形になったものです。
関わってくださった皆様のことをこちらでご紹介します。


—タイトルのこと—PINE TREE TRANSLATION

「The lights aren’t gone, they’re just out there.」
光は残っていて、ただそこにある

これは3年前の個展のために作ったテキストの英訳からの抜粋です。
↓全文はこちら。
「しばらく眺めていると、いつのまにかあたりは暗くなっている。光はまだ残っていて、ただそこにいる。」
We’d been gazing out there for a while, and it got dark at some point.
The lights aren’t gone, they’re just out there.

日が暮れてあたりが青暗くなった頃、ふと見ると白い花や石、建物なんかが、白く発光して見えることがあって。
ああ、これは昼間の光の名残りだろうかと思った時のことについての文章です。

この文章はずっと大事に思っていて、いつかこれをテーマに作品を作ろうと思っているんですが、
lights aren’t gone=残された光
という部分が今回の箱で表したいことと結びついて、タイトルにしました。

友紀さんとの英訳のためのやり取りは、伝えるための発見がたくさんあって、とても楽しい。
英訳することで、自分の言いたかったことがより分かったりします。
3年前の言葉が今ここに結びついたことはとても嬉しくて、出てきた時は思わず「あっ」と声が出ました。
#pinetreetranslation

光は残っていてただそこにある

—音楽について—次松 大助

今回の制作テーマは、個人的なことがきっかけで、さらに死生観という重ための内容ではあるんだけども、そこに漂う悲しみや劇的なメッセージに寄りたい訳ではなかった。
なので、創作との距離感というか、どことなく冷静さのある音楽、哀しいと可笑しい、優しさと恐さ、両方を抱えているという印象から、次松さんに作曲依頼しました。

そうして届いた音は、主題に肉薄した、緊張感に満ちたもので、最初聴いた時はとても心が重たくなってしまって、2度目に聴くのをためらう程でした。
映像なのか、空間、時間、温度や触感なのか、何か音以外の色々な出来事を感じさせる音楽です。ある一つの生の、生まれ過ごして消えるまでを想像していました。(例えば亡くなった母の事。知っているつもりでいたけど、実はほとんど知らないままで。どんなことに感激して、または心痛めたのか。どんな思い出を持っていたのか。それはお互いが大人になってから登場した今の私には知る事はできなくて、別の知らない人の人生として想像する。)
尊さも危うさも希望もあって、最後ゆらぎながら消えていく。

きっととても注意深く作られた音。できればイヤホンで、ちょっと集中して聴いていただきたいです。

「haze hand over the haze ⅰ,ⅱ,ⅲ」

※以下、次松さんから音楽制作意図について(一部抜粋)

haze=霞(かすみ)の意味で使っています。
死後のこと輪廻のことはわかりませんが、かすみ程度の影響を人は人に手渡して受け継いでいくのかな、と思ったためです。
(3枚の絵を見て)最期「からっぽになる」「器になる」というのは霞を渡しきったのではないかと想像した次第です。
#次松大助

haze hand over the haze ⅰ,ⅱ,ⅲ

—テキストについて—nmn

箱の内容物を繋ぐ役割として、短い文章を作りました。
制作のきっかけが個人的で、背景が重ためであるため、過剰な叙情というか詩的に寄ってしまうのは避けたかった。なので添える言葉はすごく悩んだところです。

言葉は強く、またうっかり甘い受容性があると思っていて、慎重になる。

なんとかかんとか出来た文章を持って、私の言いたいことと、不要かな、と思うことを口頭で伝えて、校正をしていただきました。
さらに普段の制作で大事にしていることについても含めて考えてくれて、これはもう意訳、になるのかもしれません。
読んだ後にどんな印象を持つかまで。

結果、シンプルで短いけれど、正直な文章ができました。

「これは祈りですか?」
「違う、ただの私の感想です」
というやり取りが決定的だった。
#nmnbooks

生がなくなったその後に残るものはなんだろうか
・・・
いつか静かに なんでもないこと、ただ在るというものになって

—デザインについて—Su-

企画を思いついた段階から、紙に書いたり、歩きながらだったり、今回表したいモードについて割としつこく繰り返し話していました。
付き合いの長さも手伝って、思うこと全部話しながら私自身が整理している感も。

生も死も身近な出来事=日常 という考えから、なるべく素っ気ない、頑丈な作りにしたい、と伝えました。
かなり詳細にラフ案を出したので、逸脱しにくいというか、逆に作りにくいこともあったかもしれないけど、角谷くんならではの平坦さと柔らかさが同居したものに。

内容物を箱にセットした時、中身は主題のための一つずつの断片になり、デザインで連なって、スッとそれぞれが立っている様でした。箱タイトルの「they’re just out there=ただそこにある」

途中何度か立ち止まることもあったけれど、デザインの決定への過程はいつもスピード感があって、ググッと制作を後押ししてくれる。展示案内DMの詳細を昼に送って、夕方に案が上がってきた時は笑ってしまった。
#su_design

続いて、1日だけの再展示のための創作についてもご紹介します。

–菓子について—豆椿

「今回は何か希望が感じられるような、そんなものを作りたいと思っています」
と、およそお菓子を考えているとは思わないような言葉が聞こえてきました。

豆椿の甘味にはいつも「冴え」を感じます(もちろんとてもおいしい)。
3月の展示の絵は、消えゆくことがテーマで、その時は「消えた後も確かに残っている」ことを
ふわっとしたムース状のクリームと「蘇」という濃くシャリシャリと口に残るもので表してくれました。
食べ物でこんな表現が!と感動したのでした。

今回はその後の話で、ここまでの私の変容を見続けてくれた人で、多分それもあってギリギリまで
制作してくださいました。そうしてできた菓子は、生の持つゆらぎと強さ=あく のようなものと、
彼女がいつもみている、あわいお店の色が映ったような、美しいものでした。

豆椿での展示の決定から開催を経て、今回の再展示まで、その間に起こった出来事は本当に稀有な偶然なんですが、
途中から自分で選んでいるかのような少し怖いくらいの腑に落ち方で、なんとなくこのテーマはこれから先も
自ずと進んでいくのではないかなあと予感(希望)しています。そこにこの菓子が寄り添ってくれることはとても心強いです。
#季節といなり豆椿

花光る舟
光は残っていて、ただそこに在る。

—選書について—nmn

3月の展示の時は「ビジネスホテルの抽き出しにポツンとある聖書みたいな」というイメージを伝えて、
期間中7日間、1日1冊、毎日変わるというスタイルになったのでした。

箱のテキストの校正もお願いしているのですが、テキストはテーマについての輪郭線の1つとして考えていて、
展覧会のための選書も、第三者の言葉を借りての輪郭を示すという位置付けでお願いしています。

第三者、本を作った人の言葉ではあるのですが、そこにはnmnさんの感想や葛藤が色濃く反映されていて、
その熱量がとてもいいなと思っています。

以下、nmnより選書背景です。
・・・

岩瀬さんがなくなることうしなうことについて向き合っているあいだ、おそらくわたしはその問いが切実に自分へと向いていました。
誰かや何かをうしなう、ではなく自分がいなくなることや消えていくこと、それが自分へ向かっていること。
どうしてこんなに自分のことだけなんだろうかと何度もいやになった。

光はあること、続いていくこと、正直にいうとまだそれを平常とは受けとめきれないけれど。
こうしたことを考えつづけていくなかに光はあると思います。

本の中にもそんな言葉はありました。

・・・

今回選ばれた3冊の本から、nmnがさらに言葉を掬ってくれています。
そのどれもがこの展示にあたりとても大切にしていたことについてで、文章をもらった時は、刺さって唸りました。
#nmnbooks

1日だけの展覧会「SHIP OF BLOOMING/ The lights aren’t gone, they’re just out there.」の画像はこちら→ https://iwaseyuka.com/archive/ship-of-blooming…e-just-out-there/ ‎