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SHIP OF BLOOMING のこと。 と、その後のことdiary

2020年3月に箕面の豆椿で開催した個展「ship of blooming」。
2019年9月に神戸元町toiroで「遠景」、12月の堺spinningMILLでの「対岸」に続く、個展三部作の完結編と自分なりに位置づけて作った展示で、なんとなくテーブルに絵を横たえることや開催日程から、棺や彼岸=あの世とこの世というあたりがテーマになりそうかなぁと、2019年夏頃から豆椿店主の細井さんと対話を続けながら組み立てていた。
そんな中で母の病気が秋に分かった。その時はさすがに心が乱れて12月の堺の展示「対岸」で作った作品には色々現れていたように思う。終わると気がすっかり抜けてしまって、3月どうなるかなぁもう私は塵になって消えたような気持ちだわ、とふわふわしていた。現実と展示テーマが一致していることもあって、必ずやるとは決めていたけど、もう展示できなくてもいいや、ってくらい12月にやりきった感があった。
もともと「through」という木漏れ日をイメージした絵を3月の完結編として作るつもりだったけど、何かそれだけでは足らない気がしてて。豆椿の店内が本当に美しいので、そこに作品を置くだけでも空間は保たれるだろう、でも安易な感じする。それでは弱いとも思っていて。頭の中に浮かぶイメージがキレイに出来すぎていて怖かった。
現場で描く事でしか得られらない何かを期待して、豆椿の場所を借りてお店の光を見ながら、一旦完成した絵を消していってみようと思いついた。それはちょうど母親が病気になっていることに慣れてきた頃。会いに行くと元気に話すしご飯も食べるし冗談も言うしで、これが平常のことになってきていた頃。もちろんそれぞれの心の中には遠くない別れも持ちつつだったけど、毎日の暮らしはとても頑強でそんなことはわざわざ思い出さないくらいだった。でも、母に会う度に身体が細く白くなっていて、ああ、容れ物はだんだん消える用意してるんかなぁとか思ったりもした。
手を入れながら絵を消すとは、結局消えるではなくて痕跡が足されることになる。どんどん手を入れていくにつれ、絵はとても濃いものになっていった。一見すると涼しい絵だけど、近づいて見ると、強い。こうなったらいいな、という願望を超えて出てきた絵になりますように、と描いた。
夜は自室で、本当に消えていくような絵を作った。ゴテゴテしないように薄く。ちょっとの風でふわーって散る終わりの方の桜のことを思い出して。昼間は消しながら描いているくせにとても強く、夜は新たに紙に筆を入れるのにとても淡いという、不思議な制作期間。別の場所で描いたのだけど、一緒に出来てくる感じだった。

そうして展示が始まった。
まだ桜には早い三月、彼岸の一週間。白くて澄んだ光が射していて、今思い出すとちょっと発光していたような日々で。
きれいなだけではすまされない、という思いもあって、ひとつ現実の窓として、当日の朝に奥の壁に赤い絵を飾った。現実とは困難なことも多いけど、とてもたくましくて、それはやっぱり希望だな、と母や子供たちと接するたびに思っていたこと。
淡い光に同調しない、濃い赤で描けた。濃いけど透明感のある絵になった。希望の赤。
期間中、様々な反応もいただいた。題材について説明していなくても、思わず心の内を話してくださる方もいた。自分の展示ではいつもはそういうことは少なくて、それも含めて少し現実離れした時間だった。でも同時に、生き死にということは誰しもの身近な出来事だからと思った。みんなそれぞれに何かある。

このときにしかつくれなかった展覧会だった。少しして、世の中はコロナウイルスで変容した。三ヵ月後に母が亡くなった。展示自体は半年前のことではあるんだけど、もっともっと前の話みたい。

その後、いくつかの幸運やつながりが連なって、「SHIP =船」と名付けた展覧会は、時々現れるまぼろしみたいに続いていくことになった。その道しるべのような痕跡のような小さい作品を今作っている。この時からずっと一緒に併走してくれた豆椿の細井さんと一緒に、これまた美しい場所での展示も企ててる。尊敬する音楽家とデザイナー、言葉の人も巻き込んだ。もうお守りだと思って。こんなん作って大丈夫かしらと不安になることも多いけど、このあとも続いていいと思えたら少し不安も薄らいで。いつまでも紹介できるものを慎重に作る。変わっていいし、全部が伝わらなくてもいい。大丈夫。

2020/11/29に1日だけ再展示をします。それに合わせた箱作品も同時にリリース予定
詳細は→https://www.guliguli.jp/blank-8

SHIP OF BLOOMING 過去の展示画像はこちらからご覧ください
https://iwaseyuka.com/archive/ship-of-blooming/